パゴダと寺院・僧院は全く別のものである 24.07.15 |
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中小企業診断士 都築 治 |
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日本国内で刊行されている書物の中で、シュエダゴン・パゴダ寺院、スーレー・パゴダ寺院、もしくはチャウタッジー寺院などの表現を目にすることが多い。また、「シュエダゴン・パゴダは、ヤンゴンで一番大きい寺院である」と記した著名人のものさえも見られる。これらは、パゴダと寺院・僧院を明らかに混同した発想から、または誤解から来たものと考えられる。 ミャンマーではパゴダ(仏塔)と寺院・僧院は全く別の範疇のものである。ミャンマー人の宗教観や暮らしを理解する上で、この点を心して欲しいものである。 パゴダは在家の寄進によって成り立っており、その運営はすべて在家信者が行う。敷地内には僧侶は居住していない。これに対して寺院・僧院は、同じように在家の布施によっているが、運営は出家僧侶が行っており、そこで生活し修行を行っている。両者は宗教的施設という意外、全く別のものである。 パゴダはミャンマー語ではパヤー(PAYA)と言い、建物自体はゼディ(ZEDI・仏塔)と呼んでいる。パゴダは、端的に言えばお釈迦様の化身と考えても良く、仏像、仏塔、聖遺物などを総称しパゴダ(パヤー)として崇める。それ故、シュエダゴン・パヤーでは仏塔自体がお釈迦様の化身であるから仏塔を礼拝の対象とするが、マンダレーのマハムニ・パヤーでは塔に対してではなく、その中に安置されているマハムニの像を礼拝の対象とする。 ヤンゴンの寝釈迦像チャウタッジー・パヤーでは、横臥した釈迦像を同じくパゴダ(パヤー)と呼んで礼拝する。バガンのアーナンダ・パトーや、ダマヤンジー・パトーなどは、塔に対しては拝まないが、中にある過去仏の四体の像を拝む。これに対して、シェズィーゴーン・パヤーでは塔自体がお釈迦さまの化身であるから、塔そのものを礼拝の対象とする。 ミャンマー国内では、例外を除き寺院・僧院には仏塔(ゼディ)はない。また仏塔の境内には僧侶は住まない。寺院・僧院は僧侶が居住して、宗教的行事や修行を行う場である。 ミャンマー仏教の研究家で僧侶である生野善應師は、「ビルマ佛教寺院は、村落部では単独に存在し、都会では普通、土塀で囲まれる一つの境内に数寺院が集合して大規模な僧院を形成している場合が多い。」(「ビルマ佛教 その実態と修行」大蔵出版)と記し、通常、僧院の中に寺院(ポンジー・チャウン)があり、寺院は僧侶が修行し、寝食する場であると定義している。 日本の多くのミャンマー関係の書物では、「寺院とは本尊となる仏像が飾られ、中に入って参拝することができる宗教的施設である」と定義し、アーナンダ―・パトーやダマヤンジー・パトーを、それぞれアーナンダ―寺院、ダマヤンジー寺院と呼んでいる。そして、ミャンマーの宗教的施設をパゴダ、寺院、僧院の3区分にしている。 原田正春・大野徹著「ビルマ語辞典」では、パトー(PAHTO)を「レンガ造りのパゴダ」、また「内部に回廊をもつ寺院」と定義している。ミャンマー教育省発行の「ミャンマー語辞典」では、パトー(PAHTO)を「煉瓦造りの仏塔」と簡明に定義し、同じく「緬英辞典」では「アーチ形の基部を持つ塔」とのみ定義している。パトーを寺院(チャウン)とは定義していない。 パゴダは在家の寄進によって成り立ち、在家の信者が管理運営している。パゴダ祭り等の行事は、僧侶とは直接の関係なしに在家が執り行う。出家の僧侶はそれらについては一切関知しない。一方、寺院・僧院は在家の布施によって成り立っているが、運営管理は僧侶に委ねられている。 パゴダは在家信者の信仰の対象であり、寺院・僧院は出家(ポンジー)及び見習い僧(コ―イン)の修行の場である。そこには何らの関連性は見られない。 |
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