アウンサン将軍とアウンサンスーチー

 ミャンマー国内ではアウンサン将軍は神格化され、建国の父と言われている。アウンサンはイギリスから完全独立を見ないうちに、32歳の時に暗殺された。アウンサンはイギリスからの独立戦争で、日本軍と共にイギリス兵やその配下のカイン(カレン)族の兵士などを多数戦死せしめた。本来ならば、アウンサンは戦勝国からすれば戦犯である。その恨みを抱くイギリス人将校が、アウンサンのライバルの先輩政治家ウ・ソーをそそのかし、死に至らせしめたものであると言われている。 イギリスは敗色著しい日本軍に徹底的なダメージを与えるために、ビルマの国民軍を味方に付けさせた方が損害が少なく、また戦況が圧倒的に優位に進むため、ビルマ国民軍を寝返りさせた。ビルマ側としても、敗戦国日本にいつまでも味方をしていては、真の独立はおぼつかない。そのために、日本軍に対して反旗を翻した。そう言う行為は恩ある国に対して裏切りであるとして、自殺した国軍志士もいたほどである。日本で軍事訓練を受け、独立運動に立ち上がった30人の若者たちを「伝説の30人志士」と同国では呼んでいる。
 アウンサン将軍の娘であるアウンサンスーチーびいきのミャンマー国民も多い。ミャンマーでは姓は無く、名のみである。日本人のほとんどはアウンサンが苗字で、スーチーが名前と思っているが、アウンサンスーチーで1つの名前である。アウンサンスーチーと一口で発音するには長過ぎるし、またアウンサン将軍のイメージを強烈に与えるので、ミャンマー国内では単にスーチーと呼んでいる。日本でも、一般的にスーチー女史と呼ばれることが多い。ガイドはアウンサン将軍を崇拝しているしスーチーが好きだと言っていた。

小説「ビルマの竪琴」の舞台
 翌日は、ヤンゴンから75km程離れた古都バゴーに行くことにする。当日は自由行動となっているので、前日にガイドと交渉してバゴーに行くことに決めたのである。旅行社を通さないようにさせたので、1日あたり60$の車代である。ガイドはなく運転手のみである。オプションツアーの場合、通常はガイドと昼食付きで1人当たり80$の料金である。
 歩いている若者は、ミャンマー独特のシャンバッグを肩に下げている。走っている車は年代物がほとんどで、4・50年は楽に経ったようなものもある。車体は日本語で書かれた看板そのままのものがあり、神奈中バスや田中建材店の車が走っている。この国でも、日本車の評判は大変良いのだそうである。また、道路の所々にはエンコした車が止まっている。車の下に運転手が潜り込んで修理している。
  幹線道路の所々はバリケードが築かれているので、脇道を通りバゴーに行くことになる。正規のルートを外れて走ると、さまざまなことがよく分かる。送電線の貧弱なこと、開墾地の住宅は竹や椰子の葉でできているためか、ターザンの映画で見られるような外観の様相を呈していることなどである。
 バゴーではシュエタ−リャウンパゴダ、マハゼディーパゴダ、チャイプーンを見学した。シュエターリャウンパゴダは巨大な寝釈迦であり、小説や映画「ビルマの竪琴」で水島上等兵が胎内でひそかに竪琴を奏でる場面で知られている。ミャンマーのお坊さんは戒律で歌舞音曲が厳しく禁じられており、お坊さんが竪琴を奏でることは全くあり得ない。かような行状では破戒僧となってしまい、僧籍を剥奪されてしまう。
 マハゼディーパゴタは白色の仏塔で、外周に階段があり男性のみ中腹まで登ることができる。バゴーが一望でき、壮観だそうである。聖なる建物に登ることなど当然できないと思い込んでいたため、今回は上に登らなかった。チャイプーンは4面仏であり、過去7仏のうち 西面は7仏の仏、北面は4仏の仏、東面は5仏の仏、南面は6仏の仏の顔となっている。
  シュエターリャウンパゴダの前面は参道になっており、仏具等のお土産屋が店を構えている。ここでは白檀の数珠を買った。7$であった。公営の土産物店もあり、そこでは少しの値引き交渉にも応じない。社会主義時代のやり方が残っていると感じた。 マハゼティーパゴダでは拝観料を払おうとしたが、何故か私からは取ろうとせず、後から来た鈴木氏が2人分払わされていた。チャイプーンでも同様であった。その理由はいまだに分からない。マハゼディーパゴダの拝観案内所で、ミャンマー国軍の曲として知られている「軍艦マーチ」を、鈴木氏がマイクで披露した。ミャンマー国民は、多くの日本の軍歌を自国の曲と思っているとのこと。
 帰りの道中で昼食を取る。日本人観光客が入るような店ではないが、ミャンマーの人にとっては高級店なのではないかと感じられる。出されたものを平らげると、直ぐにお代わりが来る。ミャンマーでは少し残して置くことが、もう十分であると言う合図なのだそうである。ここでは、紫檀製の菓子器を購入する。6$であった。ティーク製の二頭立ての牛車の置物が飾ってあり、見事なできで、価格も日本円で3万6千円程度で魅惑的であった。しかし、持ち帰るには余りにも大きすぎて、鈴木氏共々断念する。

海外へ持ち出し禁止の竪琴

 バゴー観光の後はヤンゴンの市街を車で回る。ヤンゴン市の街区はイギリスによって区画割りされ、そのほぼ中央にはスーレーパゴダがある。スーレーパゴダは金箔で覆われ、夜間になるとライトアップされて、終日光り輝いて見える。同パゴダの西側はインド人街で、さらにその隣が中国人街である。 街は雑然としており、東南アジア独特の喧騒感がある。ゴミはほとんど落ちていないが、歩道の敷石が持ち上がったりなどしてでこぼこしている。下をよく見て歩かないと、つまずきそうだ。バンコクの道路もこんな状態の所が多い。シンガポールのオーチャード・ロードなど整備された歩道と比べると大違いである。
 前記寺井氏の本に、ミャンマーのメガネは非常に安くて具合が良く、なかでもYE眼鏡店が推薦店と書いてあったので、運転手に同眼鏡店に連れて行ってもらう。鈴木氏と一緒に検眼してもらったが、私の目は乱視が入っており、さらに遠近両用でないと役に立たない。書いてもらったカルテを見てみると、近視用のみが書かれている。それでは愛用する訳にはいかないので、買うのを止める。鈴木氏は、近視でも乱視でもないので都合が良い。
 検眼してくれた女医さんと一緒の写真を撮ってくれと鈴木氏が言うので、彼女と並んだ写真を写すことにすると、鈴木氏が女医さんの肩に手をかけたものだから、女史はびっくりとする。後で分かったのであるが、この国では女性と肩を組むことは善くない行為となっている。メガネは20$であった。明日完成品を取りに来ることにし、同店を後にする。
 鈴木氏が今度は骨董品屋に行って見たいと言うので、インヤーレイク・ホテルの近くにある骨董品屋に行く。10店舗程の骨董屋が並んでいる。骨董と言うよりも、がらくた品である。象牙やシルバーでできた物も置かれているが、象牙の品は日本に持って帰れないし、シルバー製の気に入った物は800$もして私には高すぎる。
 鈴木氏が竪琴を弾く真似をして、ビルマの竪琴サウンガウがないかと店の人に問うと、縁の下から埃だらけのサウンガウを取り出して来る。鈴木氏が購入した価格は、日本円に換算すると3万6千円程になる。当地の平均給与は3千円程度あるから、店の人は大喜びである。帰り際には、よその店の人も店から出て来て見送ってくれた。
 翌日ガイドがいくらで買ったのかと言うので鈴木氏が答えると、ガイドは日本に持って帰れないと言う。空港で没収されると言うのである。ミャンマーでは骨董的価値のある物は海外へ持ち出し禁止なのである。3万6千円はミャンマーでは1年分の給与である。日本の感覚では4・5百万円と言うことになろうか。
 後で分かったのであるが、新品のサウンガウの値段は日本人価格で6千円から7千円程度である。調律できない、飾り物のサウンガウの値段は9百円位が相場である。したがって、ガイドさんがびっくりとしてしまうのも無理のないことであった。
  まだ時間が少々あるので、再びダウンタウンへ行くことにする。喧騒とした中国人街に到着する。中国人街は人でむせかえっている。中国人街では、ミャンマー特産の布製のショルダーバッグを170チャットで買った。このバッグはシャンバッグと言い、多くの日本人がお土産として買って帰る。最初は負けないと店の人は言っていたが、あいにくチャットの手持ちがなく、街をふらついている鈴木氏から借りて再び同店に行ったものだから、今度は、向こうから少し安くしてくれた。日本円では140円程度である。
■ミャンマーの伝統舞踊

 中国人街を散策しているうちに夕刻が近づいて来た。ここで、鈴木氏が伝統舞踊を見ながら夕食を取ろうと言う。鈴木氏は、各国の伝統舞踊や演劇などが好きなのである。運転手に伝統舞踊を見せるレストランはないかと聞くと、カンドージー湖畔にあるロンマレーと言うレストランに連れて行ってくれた。ここで、運転手と別れることにして、料金を支払い荷物を受け取ることにする。
 毎晩7時から実演が始まる。少し時間が早かったので、お客は誰も来ていない。コース料理を注文する。古典舞踊、民族舞踊、竪琴の演奏、歌曲、蹴鞠などの実演が続く。日本人の一行が入ってくるが、途中で皆帰ってしまう。我々は最初から最後まで鑑賞した。また、拍手を盛んに送った。料金は1人当たり6百円程度であった。
 ミャンマーの伝統舞踊はタイの舞踊とはかなり違いがあり、手の指のしなりはそれ程大きくはない。タイの踊りはヒンドュー教の影響が色濃く出ており、「ラーマーヤナ」を主題としたものが中心なのに対して、ミャンマーの踊りは、土着の精霊信仰「ナッ」を主題としたものが多いように思われた。
 また、歌謡は直立不動もしくは正座して歌い、昔東海林太郎氏が歌っていたようにアクションは全くない。この国のストイックさを感じさせる。蹴鞠はロンマーレーの名物で、様々な演技を実演して見せてくれた。
 料金を払い、タクシーに乗って帰ろうとすると、今日1日一緒であった運転手が外で待っている。また、同じ車に荷物を積み込む。ホテルまで2$と言う。レストランのウェイターの話では1$で大丈夫と言うことであったが、2$払うことにする。余程我々が良いお客であったと見えて、実演が終わるまで外で待っていたのである。