■光り輝く巨大パゴダ
ヤンゴン到着3日目は市内観光である。今度は旅行の日程表に入っているので、ガイド付きの観光である。最初に行ったのはシュエダゴンパゴダで、ミャンマー仏教の総本山的なパゴダである。
シュエダゴンバゴダは、ヤンゴン市街の北、シンダッタヤの丘に金色に輝いて聳える。その高さは99.4m、大小合わせて60を超える塔に囲まれた巨大なパゴダである。エスカレーターが設置されており、エスカレータに乗って降りると、そこがパゴダの中心地である。
そこで見たものは金色に輝くとてつもなく大きなパゴダと、それに付随する無数と言ってもよい程の絢爛たる構築物である。完全に圧倒された。こんな建造物を維持できる国が貧しいはずがない。写真を夢中になって何枚も撮った。
大パゴダの周りには、曜日毎の神様を祭ったコーナーがあり、人々は自分の生まれた曜日の神様の前で祈る。神様に水を掛ける。ミャンマーの伝統暦は8曜制となっており、水曜日が午前と午後との2つに分かれる。ミャンマー人の名前は、その頭文字で何曜日生まれか分かるそうである。母音で始まる名前は日曜日生まれである。例えば、私の名前はオサムであるから、日曜日生まれである。
パゴダの基底部の周囲は433mもあり、途方もなくなく大きい。おそらく世界最大のパゴダであろう。したがって、境内も広く、建造物を全部を見て回ることは簡単な行動ではない。駆け足で境内を回る。マハ・ティッサダの釣り鐘の所では、お坊さんがお布施を集めていた。1$紙幣が手元になかったものだから、10$紙幣を手渡した。お坊さんはびっくりとして、周囲にいた人に見せている。高額であったかららしい。ミャンマー語で幸せになるようにと祈ってくれたように感じた。その後で、釣り鐘の鐘を鳴らした。この鐘の重さは42t、高さは2.55mあるそうである。
ミャンマーでは、パゴダ等の宗教施設を参拝するのには素足にならなければならない。イギリス統治時代、イギリス人は靴を脱がないで強引に施設内に入る者もあり、ひんしゅくを買った。境内には大理石の石板が敷き積められており、その部分だけは何故か余り熱くない。それ以外の所は猛烈に熱く、トタン屋根の猫のようになった。 |
■獅子の玉座
シュエダゴンパゴダの次は、国立博物館に行った。観光年に合わせて完成したばかりの建物である。入口の受付の所に、お土産物店が併設されている。日本語で書かれた「ミャンマービジネス入門」小林株式会社と、マーマーティン・江口久雄著「ダイレクト会話ミャンマー語」を買った。40$と25$であった。共にバンコク発行である。日本で買うと、それよりもかなり安く買えることがその後分かった。為替レートの関係らしい。
同所では、シルバー製の牛車の置物も買った。70$である。300$を現地兌換券と交換しているので、それを使い切らなければならないのである。兌換券はUS$と等価で、300$以内の兌換券は再両替できない。こんなことまでして外貨を確保しなければならない同国の現状を考えると、複雑な気持ちにならざるを得ない。ミャンマーは外貨準備高が極端に少ないのである。 |
■雑然とした大マーケット
博物館の後はダウンタウンに行った。昨日鈴木氏が頼んでおいたメガネを取りに行ったのである。
ダウンタウンの北側には有名なボージョー・アウンサン・マーケットがある。マーケットの東隣はFMIセンターで、ヤンゴンでは珍しい近代的な建物である。4階までがショッピングセンターで、その上階層には日本企業などのオフィスが入っている。ヤンゴンに初めて旅をした人は、ボージョー・マーケットとFMIセンターで買物をすれば、必要なすべてのお土産を買うことができるであろう。ボージョーは、ミャンマー語で将軍と言う意味である。
ボージョー・マーケットはミャンマー最大で、瀟洒な外観をしているが、中は薄暗く雑然としている。各店は小さく区割りされ、衣料品、民芸品、宝飾品、骨董品などお土産にするような商品はすべてが揃っている。マーケットでは操り人形とロンジーを購入した。35$と400チャットであった。もっとゆっくりとしたかったが、帰り時間がせまって来ており余りのんびりとすることはできない。ロンジー屋では写真を撮った。マーケットの中央のやや奥まった所にはボントンと言う店があり、日本人の赤松美知子さんがミャンマー人のご主人と共に経営している。ご主人は日本留学の経験があり、流暢な日本語を話される。FMIセンター3階にも、何度もの旅行で知り合いになった、岐阜大学に留学した経験のあるアウンナインさんの陽光堂という店がある。アウンナインさんはあやしげな日本語を話し、愛敬がある。白檀製の置物を主に売っている。 |
■ミャンマーとのお別れ
最初の旅はあわただしい日程であった。正味2日間のミャンマー滞在である。こんな短期間では、ミャンマーの実状はほとんど分からないであろう。しかし、我々2人は診断士である。街のレベルなどを把握することに関しては慣れている。そのために、街をぶらつき実際に買物をしてみる。お仕着せの土産物店での買物は、儀礼的な買物以外はしない。アジア諸国の大多数の商店では、正札が付けてなく違和感を持つ日本人も多い。しかし、店の旦那や店員とやり合って価格を決めることも楽しいことである。このためには、日本との価格差やその国の生活水準を理解しておかなければならない。
ミャンマー滞在中に不快感を持ったことは1度もなかった。何故か波長の合うものを感じた。
ヤンゴン飛行場の近くで最後の食事を取る。地元の人たちが利用する食堂である。汲み上げた水を沸かして消毒している。食器などは何度も利用したたまり水のなかで洗っているのみで、水を切ってそのまま持って来る。何十年前の学生時代に食べた、屋台のラーメン屋と同じやり方である。床は土間そのままであり、衛生的とは言えない。 ナマズを焼いたものを頼んだ。後はサラダや油で炒めたものなどが出てくる。出された水を平気で飲む。私は日本ではしばしば下痢をするが、外国旅行ではほとんど下痢をしたことがない。
前日のバゴー訪問での我々の食事振りを運転手から聞いて、日本人用のレストランでなくても大丈夫とガイドが思ったから、こんな店に連れて来たものと考えられる。鈴木氏はすでに現地通貨チャットを使い果たしているので、私が清算する。余ったチャットはガイドにチップとして全額渡した。
幸い、鈴木氏が購入したサウンガウは、税関で没収にならなかった。飛行機に搭乗しようとすると、多くのミャンマー人が見送りに来ている姿が目に付いた。屋上デッキから多数の人が手を振っているのである。外国に稼ぎに行く人人たちを見送っているのであろうか。日本の昭和30年代や40年代初頭、外国旅行に行く人を一族郎党で見送った光景がよみがえった。
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